そんなんじゃ生きていけないと言われて

 

高校の頃も中学の頃も、学校ではそこそこの問題児扱いをされていた気がする。というかあんまり覚えてない。

でも先生との面談や怒られた時に言われたことで覚えてるものは少なからずある。

 

「そんなんじゃどこいっても生きていけないんだからね」

中学でも高校でもよく言われた。じゃあ先生は、すべての世界を知っているんですかと問いたくなる気持ちを毎度ぐっと抑えていた。屁理屈言わないの、と返されるのはわかっていたしそもそも話しても無駄だなあって思ったから全然話さなかった。とはいえ、割とわたしはこの言葉を真に受けていた。まあ私なんかがどこいってもそりゃ生きていけないだろうなって思っていたし、最悪人生無理ゲーだったら死のーっと!くらいにしか思ってもなかった。

学校に服従させるために「どこいってもどーせ君はダメだよ」って脅されたり、「おまえの人生はもうオワコンだぞ」って言われたり本当に散々だった。宿題もテスト勉強も全然やる気が起きなかったし、校則関係なくやりたい事をやりたかったし、授業中眠かったら寝ていたいし、自己中と言われようと周りからの視線が本当にどうでもよかった。きっと先生達は周りと同じように足並み揃えられるいい子ちゃんでずっとそれのみが良しとされる世界で生きてきたから、私なんかの居場所は将来なくなっちゃうよってわたしを心配して言ってくれていたんだと思う。

でも大学生になって自由が効くようになって色んな場所に行って色んな人と話した。そんな交友関係の中で何時間もその人の生きてきた濃い人生を聞いたりした。周りと同じように出来なくなっていいんだよと笑ってくれる人がいた。本を読んで映画を観て沢山の人生が認められている事を知った。高校生まではみんなと同じようにいい子に勉強を沢山していい大学に入っていい企業に就職した人しか幸せになれないし生きてる価値あんまない。って本気で思っていた。だって親も先生もそういう風に言ってたし。根拠のない植え付けを小学生の頃からされていてそれが私にとっての常識だった。

どんな人生を送ってきてどんな性格だろうと、だれだって普通に幸せになる権利があるんだと大学生になって初めて気づいた気がする。今考えると気づくのが遅すぎる、けど高校生までは狭い世界しか知らなかったし一種の洗脳のようなものをされていたんだと思う。

実際私はあの頃から本質はなにも変わってないのに今は居場所を見つけてちゃんと生きていけているし、こんな私だからこそいいんだと大きな愛をもって接してくれる人も側にいる。

先生の言ってたことは全部嘘だったみたいで、「こんなんでもここで生きていけているよ」と改めて言い返したい。

悪い奴だと学校内で評価をされるような、人と足並みを揃えられない中高生に向かって無闇に今後の人生を全て否定するような言葉を言わないであげてほしい。学校の先生に説教されて本当に反省して改心するのはドラマの中の話で現実世界にはありえないと思うのでもう放っておけばいいと思う。成績が足りないなら落とせばいいし校則違反だったら処分を機械的にすればいいだけの話で、ほんの少し先に生まれただけの登場人物Aみたいなどうでもいい存在が人生についての説教や全否定を生徒に個人的にすることは本当に無意味なものだと思う。そこに信頼関係があればまったく別だけど、私は一方的な価値観の押し付けにしか遭遇したことがない。

 

高1か高2の担任だったブサイクな男の先生はなにか私がやらかした時の面談で、「一生このままでいいんですか?やってけると思ってるんですか?」と他の先生に詰められた後に私が「わたしの人生ゴミクズだと思いますね〜もう生きてていい事ないんで死にたいです〜幸せになってる自分なんて想像つかないですね〜」と言ったら「りほなら大丈夫だよ!!!目の前にめちゃくちゃ幸せそうな奴いるじゃん!!俺だよ俺!!!」とクソ気持ち悪いポジティブなこと言ってくれたんだけど多分先生としてはそのくらいが丁度いいんだと思う。

 

 

今日せれなとカフェでいろーんな話を何時間もしたあと(めっちゃたのしかった)そんなことを帰ってきて考えていた。

がんばっていきてこう〜〜〜〜〜〜

わたしはこれでいいんだ〜〜〜〜