家族ほしい

 

私が夢見ていたもの、ずっとずっと喉から手が出るほどほしかったものは、オレンジ色の家族だった。


幼い頃から私の家は色で例えると、藍色の家族だった。思いやりという概念は存在しない家の下で家族3人が暮らしていけど、私が13歳の時に突然終わりがきた。

生まれてから何回も、もう離婚する!という母の絶叫を聞いていたし、ああまたか。と思ったら手を引っ張られて飼っていた犬も連れてそのまま近くのコンビニに駆け込んだ。

 

DV男が迫ってきてるんです、警察呼んでください!!!!

 

殺気迫る親子プラス犬にうっすら恐怖を感じているであろう男の若い店員さんが電話で警察を呼んでいたことを覚えている。

その店員さんの強烈な思い出になっているのかなと思うとすごく申し訳ないな。普通にバイトしてたら、親子が駆け込んできて警察を呼ぶことになるなんて。


コンビニに来たパトカーの後部座席乗せられて、あ〜もしかしたら犯罪者にならない限り二度と乗れないな!じゃあちゃんと覚えとかなきゃな!とか呑気なこと思ってサイレンの鳴らないパトカーの後部座席で警察署に向かった。


私は家の中で録音係だった。「いつか警察に提出するから録音しておきなさい」と母に言われたから、父と母が喧嘩をし始めたらわたしは自分のiPhoneの録音アプリを起動した。

大の大人が耳をつんざくくらいの大声で喧嘩をしてる場に居合すのはとても苦痛だった。

「てめぇこのやろう顔見てるとムカつくんだよふざけんな」と汚い怒号が飛び交う音、皿が割れる音、どちらかがどちらかをなにかで殴った鈍い音、わたしが「もうやめて」と絶叫しながら2人を止めに入る音。

そんな音をわたしは録音する係だった。
それを警察署で、女性の警察官に提出した。

これはなんですか?笑

裁判とかに使う気ですか?笑

わたしのしてきた録音は、なんの意味もなかったらしい。

 

そこからの数週間、帰る家がなくなった親子は24時間営業の銭湯で過ごし、一旦元々住んでた父親がいる家に帰り引越しをしようとした。

そんな時も、

この家のものは俺が買ったものだ何一つ持っていくな、という父親。怒り狂う母親。慌てる引越し業者のおっさん達。

そしてまた絶叫の喧嘩が始まった。結局、警察を呼んで警察がいる前で引越しをした。その頃はおそらくそんな光景に見慣れていたからなにも思わなかった。

わたしと母はその後家を決めた。引っ越しして一日目、スーパーに買い物に行って、まだガスの通ってなかったから簡単な夜ご飯を買った帰り道、母に言われた言葉をずっと忘れられない。「新しい人生が今日から始まるってワクワクしちゃうね」笑顔で、15年間の結婚生活を精算させてスッキリとした母にそう言われた。


母は私と2人で生きていくために水商売を始めた。しかし、母の精神状態は安定しなかった。今日はりほのすきなお寿司を買ってきたよ!と優しい日もあれば、頭がおかしい人のようにお前なんか産まなきゃよかったと泣きながら訴えられる日もあった。

私は徐々に母親に心を閉ざした。徐々に母親は頭のおかしい日が増えて行った。

 

そして1年ほど2人で暮らしたあと、母方の実家に帰ることになった。なぜなら、祖父が死んで、祖母が一人で寂しがっていたこと。もちろん家賃が浮くこと。確かそんな理由だった。

しかしまあ母と祖母は揉めた。喧嘩の原因はすべて"私"らしかった。

あんたさえ居なかったら。

そう繰り返し言われた。

母は口を開けば祖母の悪口を言い、祖母は口を開けば母の悪口を言った。私にとってはすべてが地獄だった。

母と祖母が大喧嘩した結果、もう一度、2人暮らしをすることになった。

 

高校の終わりの頃にはアルコール中毒の男が家に居座るようになった。母の彼氏らしかったが、私はそいつのことが心底嫌いだった。人生で初めて、生理的に無理。という感情を味わった。あっちゃんというロクでもない男だった。

185くらいでガリガリでスーツ関連のアパレル勤めだった。

飲んだくれで、毎日酒を潰れるまで飲み、金もないくせに偉そうなことを口だけベラベラよく話すくそおじさんを凝縮したようなくそおじさんだった。

でも、あっちゃんパパって呼ぶとそいつも母も喜んだから、わたしはそうやって呼んだし、いつもニコニコした。反抗する術は高校生の私にはなかった。

彼氏ができてから母親は嬉しそうだったし3人で過ごしていて楽しい日もあった。

でも彼氏と不仲の時は不仲の原因をわたしに押し付けた。
わたしは都合の悪い時は邪魔者にされて、都合のいい時は家族にいれてもらった。


寒い冬に、私は暖房のない自室で勉強をしていて、リビングでは男と母がお酒を飲みながら暖かい鍋を囲んで暖房がちゃんとある暖かい部屋で高笑いをしていた。
母と男がゲラゲラと笑ってる声は、わたしのイヤホンから流れる音楽なんてなかったことにして、直接私の脳に聴こえてきた。わたしはその時世界で一番孤独な存在であることを心の底から実感した瞬間だった。家に一人でいるよりも母と男が家にいた方が何倍も私は独りになった。
「もう大学生になったら、一人暮らしするね。」と次の日母に伝えたら

私の夢はあっちゃんと私とあなたの3人で新しい家庭を築くことなのよ!どうしてあんたはいつも私のじゃまばかりするのよ!これ以上わたしのことを困らせないで。

と甲高い声で発狂された。泣きわめきながら髪を掴まれて振り回されて頭皮が痛んだし、長い爪でわたしの腕を掴むから爪が皮膚を破りわたしの腕からは血が流れた。
その時、このまま私は殺されるんだろうな、と直感で思った。

人生で感じたことのないくらいの怒りと悲しみと脱力感が同時に襲ってきた。八方塞がりで、闇の中のようだった。どこの道を選んでも私には不幸しか残されていなかった。絶望だった。大学生になっても、わたしは今の同じような苦しみを味わうのか?

次の日の朝、わたしの耳は遠くなって聴こえなくなり、めまいがして目の前が真っ暗になって倒れた。それから数週間、わたしは入院した。病院は本当に静かで真っ白で過ごしやすかった。


わたしにとって家族とは、そういうものだ。
サラサラと崩れていくものだ。
あってないようなものだ。信じていても裏切るようなものだ。
母は、頭がやっぱりおかしいから、私に言った言葉なんてすべて忘れて、母子家庭で女手一つで子供を育てたという実績を大事に大事にしている。

 

わたしは家族がほしい

暖かくて、帰る場所で、裏切らなくて、自分の存在を絶対認めてくれて、そして自分も無条件に好きだと思える家族がほしい

 

やっぱり、家族に対して辛い気持ちしかないや、

離婚するずっと前からやっぱり母も父もおかしかった

外面だけよかったね

 

でもやっぱり離婚してからの方が辛かったな。母子の閉鎖的空間。母は、子に自己投影してる精神状態。自分なんてどこにもなかった、

都合が悪いことは全部わたしのせいだもんね

離婚した事も、祖母と喧嘩したことも、男と喧嘩したことも。

母親が、わたしはあんたを産むために年収いくらの仕事を辞めたんだ。と言った

わたしが居なかったら、稼げていたのに。と言いたかったんだろう。

 

自己責任だろバーーーーーーーカ

 

だめだ、恨みしか出てこないや

テレビをつけると、家族の絆だ。血の繋がりだ。そんなんばっかりだ。そんなもんないよ。

でも欲しいよ。

 

いつか結婚したいな、重いかな。

地雷女だなあ、彼氏に申し訳ないな

 

いつか愛する家族がほしい